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宝塚混声合唱団

Takarazuka Konsei Gasshodan (Takarazuka Mixed Choir) since 1980


第32回音楽会 「クリスマス・オラトリオ」に寄せる想い   Essays

2020年7月25日(土)の第32回音楽会では、東リ いたみホールでJ.S.バッハの「クリスマス・オラトリオ」をオーケストラと一緒に歌います。音楽会に先がけ、団員からのコンサートに向けた想いをご紹介いたします。

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エッセイ1:「クリスマス・オラトリオ」雑記 福田 伸
エッセイ2:「バッハとヘンデル」 広田 修


「クリスマス・オラトリオ」雑記

 
テナー  福田 伸

ヘンデルの「メサイア」に続いて、今年はバッハの「クリスマス・オラトリオ」に取り組むことになった。畑儀文先生の指導による待望のバッハで、老兵の私にとっては逃すことのできない機会である。 不覚にもこれまで聴いたことがなかったので、練習が始まってからやっと全曲を、S・クイケン指揮、ラ・プティット・バンドのライブ盤CDで通しで聴いてみた。冒頭の管楽器の華やかな序奏に眼前が開け、続いて明るく輝かしい合唱の 響き。聴き入るうちにルターの<神はわがやぐら>やマタイ受難曲に出てくる<血潮滴る主のみ頭>など懐かしいコラールが繰り返し現れ、バッハ音楽の綜合博物館に入ったような気分で2時間半。立体的な音の絵物語のように 色彩鮮やかな演奏を存分に楽しんだ。

以前、本誌に、カラヤン指揮の幻の映画「マタイ受難曲」のこと、偽書「夫セバスチャンバッハの思い出」のことなどバッハをめぐる片々とした記憶を披歴したことがあったが、バッハに興味を 抱くようになったのは、A.シュバイツァーのオルガン演奏「トッカータとフーガ」のSP盤を聴き、著書「バッハの生涯」を読んだ60余年昔に遡る。シュバイツアー(注1)は19世紀末から20世紀中期にかけて活躍した ドイツの文化哲学者・神学者。中年になって医学を修め、植民地時代の赤道アフリカのランバレネにわたってキリスト教の布教と医療事業に献身し、<生命への畏敬>の理念にもとづく人道的世界観と核禁止を訴える 平和運動で1957年にノーベル平和賞を受賞。音楽の分野でもバッハ研究とオルガン演奏で知られた万能の偉人だった。「トッカータとフーガ」はバッハの若い頃の作品とされていて、H.ヴァルヒャやK.リヒターの洗練された オルガン演奏を聴くうちにシュバイツアーの古風な演奏はいつしか聴かなくなってしまったが、津川主一が訳したシュバイツアー著「バッハの生涯」という古い本(注2)は、バッハに関する初歩的な知識を得た鮮明な記憶が 残っており、先般図書館で探して再読してみた。
冒頭の一節を抜粋してみると
“バッハは常に共感を誘うような朗らかな風では出現しない。頑として他に譲らぬ性質。盲目的な憤怒に襲われ,些事を大事件にしてしまう。~中略~然しながら真のバッハは 別人だった。普通の交際において頗る親切で丁寧な人であり、公平で厳格ぶりを恐れられた。”
と書き出され、コラールやカンタータの歴史から説き起こし、バッハの生い立ちと音楽活動、膨大な作品の解題へと説き及んで行く。「クリスマス・オラトリオ」は「降誕聖譚曲」と 訳されており、詳細な解説は全3巻の大著「バッハ」(注3)のほうに載っていたので繙いてみた。要旨を抄出してみると、
“この曲は原総譜とバッハの入念な校訂を経た声部分譜が現存し、旧作のカンタータから転用された曲(パロディー)は写譜で丁寧な字体で、走り書きされた新たな作曲部分とは 際立った差異を示している。バッハ自身のつけた「オラトリオ」という題は人を惑わせるものがあり、曲全体はバッハが1734年(50歳)のクリスマスのために作った6つのカンタータを集めた<カンタータ集>で、キリスト降誕の完全な 記事を提供しており、厳かで楽しい祝祭音楽となっている。各カンタータの導入部合唱曲と全曲のなかの主な独唱曲は他の作品からの転用に基づいている。独立的な管弦楽伴奏を持つコラールは初期に作られたものも 含めて感動的な効果を上げており、終曲(第64曲)は驚嘆すべきトランペット音型を伴っていて模倣しがたい偉大な凱歌をなしている。転用の曲は新作曲と全く同価値であり、バッハにとって歳月が何の力も加えることがない ことを物語っている。”
と述べたうえ、転用された曲の出典も丹念に記載し、演奏上の留意点も縷々書き添えてこの曲の普及に並々ならぬ熱意を寄せている。

シュバイツアーの大冊「バッハ」は、バッハの息子達からの直接聴取を踏まえて書かれたフォルケルの古典的な評伝「バッハの生涯と芸術」(注4)を典拠とし、自らの演奏活動に 裏打ちされた作品研究を織り込んだ信憑性の高い著作であるにもかかわらず、<大きな物語>が好まれなくなったポストモダン以降の風潮のせいか近年は黙殺される傾向にある。そんななかで、旧東ドイツの音楽学者 W・フェーリクスの「バッハ 生涯と作品」(注5)はシュバイツアーの業績を正当に評価し、「クリスマス・オラトリオ」についてもシュバイツアーの所見を参照しながら綿密な解説を施しており、その一端を抜粋してみると
“6部のクリスマス及び新年のカンタータは内容的に関連し合っているために個々の祝祭日礼拝の役割を超えてオラトリオとしての全体性を獲得する結果となった。各部は 第2部の序奏(シンフォニア)を除き、冒頭合唱を導入部に置く。また各部ともコラールで閉じられるが、第3部だけは冒頭合唱を反復する。終結コラールは各部ごとに異なった形式で提示される。このようにしてバッハは 6曲のカンタータを一連に結び合わせるに際し、順次に新しい、前後対照的な形態付与の工夫を行う。6部のカンタータを一連のものとして位置づけつつ、その総合を図ることにより30年、200余曲に及ぶカンタータ作曲の 経験をいま一度集中的に呼び起こし、復活祭のための受難曲(パッション)とは全く別のかたちで<降誕記事>によるオラトリオとして結実させたのである。
と述べられ、この作品は他の多くの曲(マタイ受難曲など)とは反対に、死後完全な忘却の淵に葬られることはなかったが、公開の演奏会で確固たる地位を獲得するようになったのは やっと数十年前からであると書き加えている。
先月、余儀ない所用で東京へ出かけ、僅かの手空き時間を活用して上野の東京都美術館に立ち寄り、「コートールド美術館展」を観た。印象派の名作が揃っていて、P・セザンヌの 絵も「聖ヴィクトワール山」、「カード遊びをする人」など代表作数点が展示されていた。<近代絵画の父>とも呼ばれるセザンヌは大変な音楽好きで、晩年にはルネッサンス以来の伝統的な遠近法から脱却して、絵画空間の 各部分を全体と同じ重要性を持たせる新たな構図と描法を確立したが、その手法はバッハの対位法による全方位等価的な音楽作法から学んだのだということを知った。バッハの音楽と絵画の親近性について、シュバイツアーは 自伝「わが生活と生涯より」(注6)のなかで
“私は自分の研究でバッハを純粋音楽を護る者としてみる立場に反対し、バッハを音楽における詩人及び画家として捉えた。彼は音の線をもって視覚的なものを書かんと しており、音の言葉を使役して平和なる条幅、聖に満ちた喜悦、はげしき苦悩、崇き痛苦を表現する。思想を音でもって表現しうるのである。”
と述べており、なるほどと首肯させられた。
以上、シュバイツアーのバッハ論のなかから「クリスマス・オラトリオ」への言及を中心に拾い読みし、若干の私見を加えつつ覚書的に書き連ねてみた。シュバイツアーは世紀を遡る 西欧中心主義の時代に生きたエリート思想家であり、歴史的な制約や限界はあるものの、その深遠で広闊な知的遺産のなかから学ぶべき点は尽きないと思えてならない。


注1. A.シュバイツアー:Albert Schweitzer 1875~1965
注2. A.シュバイツアー「バッハの生涯」津川主一訳 白水社 1930年刊。本書はシュバイツアー「バッハ」
(注3)の抄訳であり、訳者の津川主一はフォスター歌曲の訳者として知られている。

注3. A.シュバイツアー「バッハ」(全3巻)浅井真男・内垣啓一・杉山好訳  白水社 1958-9年刊。
注4. J.N..フォルケル「バッハの生涯と芸術」柴田治三郎訳  岩波文庫  1988年刊。本書は1802年に書かれたバッハに 関する最初の本格的な評伝で、バッハ研究の資料的淵源とされている。
注5. W.フェーリクス「バッハ 生涯と作品」杉山好訳  講談社学芸文庫  1985年刊。
注6. A・シュバイツアー「わが生涯と生活より」竹山道雄訳   白水社  1956年刊。訳者の竹山道雄は音楽童話の 名作「ビルマの堅琴」の著者として知られている。

(付記) 引用の訳文は出版時の訳者の表現意図を損なわないよう、ほぼ原文の儘とした。