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宝塚混声合唱団

Takarazuka Konsei Gasshodan (Takarazuka Mixed Chorus) since 1980


第27回音楽会 ベートーヴェン「荘厳ミサ」に寄せる想い   Essays

2015年7月25日(土)の第27回音楽会では、いたみホールでベートーヴェンの「荘厳ミサ」をオーケストラと一緒に歌います。音楽会に先がけ、団員からの「荘厳ミサ」に向けた想いをご紹介いたします。

ベートーヴェン「荘厳ミサ曲」に寄せて

テナー  福田  伸

 9月から畑 儀文先生の2年目の練習が始まりました。曲はベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」。「第9」は何度か歌いましたが、“ミサ・ソレムニス”は難曲との先入観があって これまで歌う機会を逸してきました。非力を顧みず欲張ってチャレンジさせていただきます。

(1)

 まず、「荘厳ミサ曲」についてのささやかな記憶から。
 一つは昭和56年の暮れにこの曲を小澤征爾の指揮で聴いたことです。昭和40年代末から新日本フィルを率いる小澤征爾が毎年暮れに渋谷のNHKホールで「第9」を振る慣 わしとなっていて足を運んでいましたが、その年の暮れは演奏曲が「荘厳ミサ曲」に変わり、心待ちにしておりました。ところが師走に入って突然の吐血で入院を余儀なくされ、 やっと自宅に帰ったばかりでした。大きな仕事が一段落した安堵と積年の過労・過飲が原因でしたが、じっとしておられず、ふらつく足で会場へ向かいました。山路芳久がテナー・ ソロを受け持ち、合唱は晋友会合唱団で、激情と思索が融合したような深い精神世界に電撃的な衝撃を受けて、身体が火照り、急速な健康回復への契機になったという格別の思いが あります。
 先月末、マエストロ・オザワが、サイトウ・キネン・オケでベルリオーズの大曲「幻想交響曲」を振り完全復活したという新聞記事を読んで欣快の至りでした。同時に今世紀の到 来を待たずに37歳の若さで夭逝した天才歌手山路芳久のことが脳裏をよぎりました。
 いま一つはその翌年の或る朝、FM放送でこの曲が演奏され、ルチア・ポップがソプラノ・ソロを歌っているのをエア・チェックしたテープのことです。艶やかで深みのある美 を持ち、女優から転身したこのスロバキア生まれの麗人オペラ歌手は来日したこともあり、密かに憧れていましたので、後年関西への単身赴任先にも携行し、毎晩のように繰り返し て聴くうちにテープが切れてしまいました。なんとか修理復元はできないものかと捨てずに今日に至っております。ルチア・ポップも、山路芳久より少しあとに50歳を超えたばか りの若さで急逝しました。

(2)

 ハイドン「四季」の本番が終わった8月の末、北関東への短い旅に出かける道すがら、東京六本木の国立新美術館に立ち寄って「オルセー美術館展」を覗いてみました。
 最初に眼についたのは印象派の若き旗手F・バジールの描いた「バジールのアトリエ」でした。画家は1870年に普仏戦争に従軍し、29歳の若さで戦死しております。この画 は出征直前に完成した遺作で、マネ、モネ、ルノアール、小説家のゾラなどバジールのアトリエに集まって団らんする若い芸術家たちの群像が描かれており、画面中央にひときわ長 身のバジールの姿がマネによって書き加えられています。南仏の明るい雰囲気が漂うこの画に見惚れながら、私は学生時代の友人で卒業を待たずに23歳の若さで病没したK君の在 りし日の姿を想い出しました。K君はバジールを彷彿させる長身で音楽好きの秀才で、よく一緒に北アルプスへ登ってヨーデルを教わったり、行きつけの洛北の音楽喫茶でベートー ヴェンの「運命」「田園」「ヴァイオリン協奏曲」などを次々とリクエストしながら、読んだばかりのロマン・ロランの「ベートーヴェンの生涯」(片山敏彦訳 みすず書房)や長 谷川千秋の「ベートーヴェン」(岩波新書)について語り合ったりしたものでした。

(3)

 点鬼簿めいた回顧の締めくくりに、長谷川千秋が後世に残した唯一の名著「ベートーヴェン」について触れておきたいと思います。岩波新書が創刊された昭和13年に弱冠29歳 でこの本を出版し、太平洋戦争末期の昭和19年に一兵卒として徴兵されて敗戦の直前20年6月に37歳で沖縄で戦死した長谷川千秋については、今日その名を知る人も少なくな り、書物も久しく絶版になっているようです。大戦をくぐり抜けて数十版を重ねたこの本は、当時の若者がベートーヴェンを知るための必読書でした。過日、幾星霜かを経て、変色 して崩れそうなこの本を繙いてみました。美学を専攻し、習作の小説で芥川賞の候補にも選ばれたという著者は若書きの生硬さをほとんど感じさせず、ベートーヴェンの苦悩に満ち た生涯と作曲活動を達意の文で縦横に語っており、「ミサ・ソレムニス」についても一章を割いてかなり詳しく記述しております。作曲家が心身の不調や身辺の不幸に悩まされなが ら4年間を費やして1823年、53歳でこの大曲を完成させるまでの苦闘の叙述には胸迫るものがありますが、ここでは省き、本曲の特徴を簡潔に解説している箇所のみを抜粋し て引用してみます。

“「荘厳ミサ」はできあがった。冒頭の「キリエ」と「グロリア」でキリスト教的なもっとも単純な概念で、神の姿を描いた。「キリエ」は神よりの直接の感銘を、「グロリア」は その姿の動ける光景を、宇宙の中における神の創造を表した。次の「クレド」で自己の内部を告白し、確信の信仰をすさまじく肯定した。「サンクトウス」では人間の深い内心の情緒 を、「ベネデイクトウス」では、熱烈な信仰者の抱く神の幻を、「アダヌス」では、いまだ地上の暗闇の中にもがく者どもの神にたいする救いの叫びを、最終の「ドナ」では審判の恐怖 と平和を告げる神聖な神の命令とを描き、世界の平和にたいする祈祷をささげた。彼の描いた神の荘厳と激しさは、従来の意味での儀礼的なものとは全然違って非教会的であって、 僧侶や儀式はむしろ眼ざわりであった。平和とその喜びを目指す気持ちは次の制作である「第9交響曲」と胚胎の内的な連絡を持っているのである。”

 「荘厳ミサ曲」は「第9交響曲」と一緒に1824年に初演されましたが、その成功はまことに劇的なもので、多数の聴衆が泣き出し、ベートーヴェンは演奏会のあとで感動の余 り気絶してしまったとロマン・ロランは「ベートーヴェンの生涯」の中で語っております。


 先日第2回目の練習で畑先生からこの曲は“厳粛”に歌うことが肝心だとのご教示をいただき、まさに琴線に触れる言葉だと感得しました。バッハの「ロ短調ミサ曲」を聴いていて 感じる“敬虔さ”とベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」の持つ“厳粛さ”とを、<差異>というより<傾向>として対比してみたり、ロマン・ロランがこの曲とミケランジェロの絵画 「最後の審判」との親近性を指摘しているのに頷いてみたりしながら、“ゲーテよりは難しいが、ヘーゲルよりは容易だぞ!”とヘテロな自己暗示をかけ、軟口蓋が硬化してしまった 咽喉と貧寒な読譜力に喘ぎながら、ベートーヴェン自らが“最高の作品”と語っているこの偉大な音楽の奥義に一歩でも近づきたいと思っております。