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宝塚混声合唱団

Takarazuka Konsei Gasshodan (Takarazuka Mixed Chorus) since 1980


第25回音楽会 ヨハネの部屋   Essays

2013年7月27日(土)いたみホールの第25回音楽会ではJ.S.Bachの「ヨハネ受難曲」をオーケストラと一緒に歌いました。団員からのヨハネに向けた想いをご紹介いたします。

■ バッハ「ヨハネ受難曲」をめぐる断想

テナー  福田  伸

 

「マタイ受難曲」(以下<マタイ>と略称)の上演が無事終わり、まだその感動が冷めやらないうちに、8月から「ヨハネ受難曲」(以下<ヨハネ>と略称)の練習が開始されました。 ドナルド・キーンさんが、“<マタイ>は長いあいだ愛聴し続けてきたのに<ヨハネ>のレコードは買ったことがない”(「音楽の出会いとよろこび」(中公文庫))と語っておりま すが、私自身もクレンペラー指揮の<マタイ>のCDは何度か聴いても、名盤と言われるリヒター指揮の<ヨハネ>は退蔵したままでほとんど聴く機会がありませんでした。

 今年の晩春、若い頃暮らした東北の被災地を訪ねるべく長途のドライブにでかけた折り、迫ってきた<マタイ>本番に向けて、バッハの宗教音楽への理解を少しでも深めようと、 <マタイ>、<ヨハネ>、それにマリナー指揮の「ミサ曲ロ短調」を加えたCD3点を携行し、車のなかで流し聴きしているうちに、食わず嫌いであった<ヨハネ>が<マタイ>に 決してひけをとらない名曲であることに気付きました。ただ、その時点では来年の演奏曲が<ヨハネ>になるとは知りませんでした。

 <マタイ>本番が終わった7月の末、所用で東京へでかけ、新幹線の車内で上梓されたばかりの「マルテイン・ルター」(徳善義和著 岩波新書)を読みましたが、ドイツにおけ る宗教改革や聖書の口語訳で歴史に新たな展開をもたらした戦闘的な修道士ルターの生涯を描いたコンパクトで魅力的な本でした。文中に“歌うルター”という節があって、ルタ ーが音楽的な才能にめぐまれ、ラテン語の典礼歌にかえてドイツ語の讃美歌(コラール)を数多く作曲して民衆の間に拡げ、それがカンタータや受難曲、オラトリオなどの宗教音 楽の誕生につながっていったことが述べられ、バッハやメンデルスゾーンへの言及もあって刺激されました。東京に着いてからの空き時間を利用し、上野の国立西洋美術館で開催 中の「ベルリン美術館展」を覗いてみました。猛暑のせいか会場は意外に空いていて、予期もしていなかったL・クラナッハの「マルテイン・ルターの肖像」を見つけ、さらにF・ リッピの「キリストの磔刑、ふたりのマリアと福音書記者ヨハネ」を発見して驚き、小躍りしました。

 リッピの絵は、十字架に架けられたイエスの両脇に佇むマグダラのマリアとイエスの母マリアの前に跪く若い美男子ヨハネを配した小さなテンペラ画で、危うく見過ごしてしま うところでしたが、これから向こう1年間かけて練習することになるバッハ<ヨハネ>への感情移入をいやがうえにも高めてくれるものでした。

 <ヨハネ>に関するささやかな追想になりますが、もう30余年もむかし、東京カテドラル聖マリア大聖堂で「シュワイツアー記念バッハコンサート」というバッハのカンター タやコラールを集めた典雅なコンサートを聴いたことがありました。手元に残っているプログラムを眺めていますと“神はわがやぐら”から始まり、“主よ人の望みの喜びよ”、 “血潮したたる主のみかしら”、さらに<マタイ>から十数曲の独唱やコラールを抜粋で聴かせたあと、<ヨハネ>の終曲“Ach Herr”で締めくくるという魅力的な選曲 で、指揮者の斉藤信彦さんが“<マタイ>の終曲でなく、<ヨハネ>の終曲を置いたのは、キリストの受難がより力強く歌い上げられているからだ。”と解説文で述べていました。

 先日久しぶりに「新訳聖書」を取り出してマタイとヨハネの両福音書を比べ読みしてみましたら、マタイ福音書が旧約時代の系譜から始まるイエスの活動の物語であって、何と なく叙情的であるのに対し、“ロゴスは神であった”という語句で始まるヨハネ福音書はより抽象的で、神学的な厳しさを感じました。CDで聴いた印象とも重ね合わせながら、 私なりに気付いた点をピックアップしてみますと次のとおりです。

  • <マタイ>がイエスの受難を予告しながらゆったりと曲が進んで行くのに、<ヨハネ>はいきなりイエスの逮捕から始まり、劇的に音楽が高まって曲全体に切迫感がある。
  • <マタイ>では十字架上でイエスが“神よ、何ゆえわれを見捨てたまうか”と叫ぶが、<ヨハネ>ではイエスは“すべてが終わった!”と呟くだけで黙示的な威厳が漂う。
  • <ヨハネ>の終曲の前に置かれた第39曲(Ruht wohl)は、<マタイ>の終曲(Ruhe sanfte)にひけをとらない清らかな合唱で胸に迫る挽歌である。
  • <ヨハネ>の終曲第40曲(Ach Herr)は、挽歌というより受難から先の“復活”を予告する讃歌のように聞こえる。

 一昨年の晩秋、私用で英国に出かけた帰途、時ならぬ大雪で航空便が乱れ、予想もしていなかったフランクフルトで仮泊を余儀なくされました。やむなく僅かばかりの滞在時 間を利用してマイン河畔にある「ユダヤ博物館」を覗いてみました。「パウロ」を歌った年したので、作曲家のメンデルスゾーンの生涯について新しい知見が得られるかもしれない ととっさに思いついてのことでしたが、富裕なユダヤ人銀行家だったメンデルスゾーン家のコーナーは充実していました。父親の代にユダヤ教徒からプロテスタントに改宗していた メンデルスゾーンは敬虔なプロテスタントとして育ち、長く埋れていたバッハの<マタイ>や「ロ短調ミサ曲」の復活上演を行い、ルターが作曲し、バッハがカンタータ第80番に とりいれた”神はわがやぐら”を自身の交響曲第5番「宗教改革」第4楽章に用いました。しかしこの曲はカソリック教会側の反対で演奏を拒否され、長く上演の機会がつかめなか った由です。さらに彼はユダヤ人だったため、第二次大戦中はナチスによって墓は暴かれ、すべての曲が演奏を禁じられました。一方でナチスは反ユダヤ思想を鼓吹するため、ルタ ーをドイツ歴史上の英雄として担ぎあげ、”神はわがやぐら”を行進曲として利用しましたので、過去の過ちを忘れない人々はいまでもこのコラールを歌うのにためらいを感じるそ うです。

 最後に、<ヨハネ>の終曲のなかで”神はわがやぐら”の旋律が、絹糸の断片のように織り込まれて降り注いでくるのを感じるのは私の耳の錯覚でしょうか?